仕事中にお客様とお話ししていて、よく話題になるのが「豊洲は本当に変わった」。
 
 江東区に昔から住んでいて、昔の豊洲を知っている方は皆さま、こういいます。

 2016年現在、豊洲は高層タワーマンションが立ち並び、ららぽーとにはオシャレな方々が集まり、イタリアンやケーキの美味しいお店にも困ることはなく、年末には築地市場が引っ越してきて、知名度・観光度とともに知らない人の方が少ない街になろうとしています。かくいう僕も子供の時に10年ほど豊洲に住んでいたので、今の豊洲の変貌ぶりには驚くのみです。

2005年豊洲駅前

2005年の豊洲駅前

 こちらは2005年お正月に撮影した豊洲駅前の写真です。駅前にあったヤマザキデイリーストアや駅裏駐車場が壊されて豊洲シエルタワーを建設中、の1枚です。右には建設中のゆりかもめも写っていますね。

 このころから豊洲は急激にタワーマンションの建設ラッシュが始まり、少子化に伴い廃校が進む世間の流れと逆行して小学校が足りなくなるという事態を受けて急きょ豊洲北小が開校しました。この写真の翌年、2006年にはららぽーと豊洲もオープンします。

 豊洲という場所が埋立地であるということを知っている方は多いのですが、実は関東大震災の瓦礫で埋め立てられたということは、あまり知られてはいません。

 埋め立て後に豊かな土地になるように、ということで名づけられた「豊洲」ですが、事実そうなったといえるのではないでしょうか。

2016年現在の豊洲

2016年現在の豊洲駅前

 僕が引っ越してきた当時(1985年頃)は、有楽町線もまだ開通していなく交通機関はバスのみでした。当時のお父さん方はバスで門前仲町まで出て東西線で通勤、という方が多かったそうです。当時は本当に何もなく、おもちゃ屋などもなかったので当時子供たちの間で流行っていたファミコンであったりプラモデルであったりも門前仲町や銀座まで行かないと売っている場所がありませんでした。

 小学生には少し遠い距離ですが、仲の良い友達と自転車でわざわざ行ってましたね。おかげでどこへでも自転車で出かける力がつきました。子供の少ないお小遣いなので電車代も浮かせたい。そういう考えで銀座、秋葉原といった場所に自転車で行くのです。

 また、有楽町線の開通時に駅中に某ファーストフード店が出来ると聞いた時には子供たちの間でずいぶん騒いだのを覚えています。

「豊洲にもやっとファーストフード店がっ!」

「マクドナルドが来ないのが、やっぱ豊洲だよな(笑)」

口の悪い友人は自虐半分で言っていたものです。それくらい本当になにもなかったのです。

豊洲西小前のT字路

1987年の豊洲西小前のT字路
右の緑のネットの建物がドゥ・スポーツプラザ晴海

 今ではフィットネスクラブなどは乱立状態で入会価格も安くなりましたが、当時東京でも珍しかったフィットネスクラブ「ドゥ・スポーツプラザ晴海」が豊洲にはありました。昔はフィットネスクラブというものはお金持ちが通うものだったので、わざわざ港区などの富裕層が車で通っていたそうです。駐車場に停まっていた高級外車が子供には驚きでしたね。フェラーリなどを見てずいぶん騒いだものです。

 事実、入会金も100万円単位だったとか。バブル崩壊後にフィットネスクラブの価格破壊が起こってどんどん価格は下がっていったとのことですが、会員権もバブル期には高額で取引されたなどという話も聞かされました。

 そんなドゥ・スポーツプラザ晴海も2006年にアーバンドック ららぽーと豊洲内に移転し、ドゥ・スポーツプラザ豊洲になりました。

 現在の豊洲西小前の写真を見てみると、30年前の撮影時にあった物の全てが、路上のマンホールだけを残して、今はもうありません。
 
 豊洲だけでなく、近隣の辰巳、東雲もずいぶん変わりました。

 たまにニュースで「江東区の高級住宅街で事件がありました」なんて報道を聞いて「どこだ?」と見ていると豊洲が出てきて「ん?豊洲が高級住宅街!?」と1人つっこんでしまうのですが(笑)、やはり世間では高級住宅街になるのでしょうか。

現在の豊洲西小前のT字路

現在の豊洲西小前のT字路
30年前の建物は全て、今はもうない

 今後、オリンピック開催に向けて、豊洲はまだまだ姿を変えていくのでしょう。先が楽しみです。

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