仕事中にお客様とお話ししていて、よく話題になるのが「豊洲は本当に変わった」。
江東区に昔から住んでいて、昔の豊洲を知っている方は皆さま、こういいます。
2016年現在、豊洲は高層タワーマンションが立ち並び、ららぽーとにはオシャレな方々が集まり、イタリアンやケーキの美味しいお店にも困ることはなく、年末には築地市場が引っ越してきて、知名度・観光度とともに知らない人の方が少ない街になろうとしています。かくいう僕も子供の時に10年ほど豊洲に住んでいたので、今の豊洲の変貌ぶりには驚くのみです。
このころから豊洲は急激にタワーマンションの建設ラッシュが始まり、少子化に伴い廃校が進む世間の流れと逆行して小学校が足りなくなるという事態を受けて急きょ豊洲北小が開校しました。この写真の翌年、2006年にはららぽーと豊洲もオープンします。
埋め立て後に豊かな土地になるように、ということで名づけられた「豊洲」ですが、事実そうなったといえるのではないでしょうか。
僕が引っ越してきた当時(1985年頃)は、有楽町線もまだ開通していなく交通機関はバスのみでした。当時のお父さん方はバスで門前仲町まで出て東西線で通勤、という方が多かったそうです。当時は本当に何もなく、おもちゃ屋などもなかったので当時子供たちの間で流行っていたファミコンであったりプラモデルであったりも門前仲町や銀座まで行かないと売っている場所がありませんでした。
小学生には少し遠い距離ですが、仲の良い友達と自転車でわざわざ行ってましたね。おかげでどこへでも自転車で出かける力がつきました。子供の少ないお小遣いなので電車代も浮かせたい。そういう考えで銀座、秋葉原といった場所に自転車で行くのです。
また、有楽町線の開通時に駅中に某ファーストフード店が出来ると聞いた時には子供たちの間でずいぶん騒いだのを覚えています。
「豊洲にもやっとファーストフード店がっ!」
「マクドナルドが来ないのが、やっぱ豊洲だよな(笑)」
口の悪い友人は自虐半分で言っていたものです。それくらい本当になにもなかったのです。
事実、入会金も100万円単位だったとか。バブル崩壊後にフィットネスクラブの価格破壊が起こってどんどん価格は下がっていったとのことですが、会員権もバブル期には高額で取引されたなどという話も聞かされました。
そんなドゥ・スポーツプラザ晴海も2006年にアーバンドック ららぽーと豊洲内に移転し、ドゥ・スポーツプラザ豊洲になりました。
豊洲だけでなく、近隣の辰巳、東雲もずいぶん変わりました。
たまにニュースで「江東区の高級住宅街で事件がありました」なんて報道を聞いて「どこだ?」と見ていると豊洲が出てきて「ん?豊洲が高級住宅街!?」と1人つっこんでしまうのですが(笑)、やはり世間では高級住宅街になるのでしょうか。
今後、オリンピック開催に向けて、豊洲はまだまだ姿を変えていくのでしょう。先が楽しみです。
便利屋ファミリー江東木場店
最新記事 by 便利屋ファミリー江東木場店 (全て見る)
- 無理やり入れたドラム式洗濯機を搬出・回収 - 2024年9月6日
- 世田谷区でオリーブの木を強剪定 - 2024年8月25日
- 真夏の最中のエアコンクリーニング - 2024年8月16日
Pingback: 豊洲の昔。築地市場は本当に来るの? | 江東区の便利屋|便利屋ファミリー 江東木場店